今やホストクラブは、新宿歌舞伎町や大阪ミナミといった繁華街に足を運べば数多く営業しているのが見られます。
しかしホストクラブ誕生の歴史やホスト業界が歩んできた道のりを見ると、現在のように発展するまでには数々の苦難がありました。
今回はそんなホストクラブの歴史について詳しく紹介。
年表形式にまとめていますので、時代を追いながらホストクラブの歴史を紐解いていきましょう。
8分でしっかり理解できるので、ぜひ最後までお読みください。
ホストクラブ業界の歴史年表
歌舞伎町誕生から現在にかけてのホストクラブ業界の歴史年表は次の通りです。
それぞれ詳細にご紹介します。
【1948年】歌舞伎町が誕生する
1948年、東京都に新宿歌舞伎町が誕生しました。
誕生のきっかけは、1941年から1945年にかけて起きた太平洋戦争にあります。
戦争で焼け野原となった新宿の地に、戦災復興都市計画の一環として「新宿歌舞伎町」が生まれたのです。
当時は新宿コマ劇場や新宿東宝会館などの文化的施設も多数ありました。
しかし繁華街という特色から飲食店はもちろん、ラブホテルやトルコ風呂といった風俗店がどんどん増えていきます。
次第に夜の文化が根付き始め、現在の歌舞伎町の原型となりました。
【1964年】女性をターゲットにした女性専用クラブが登場
1964年には、ホストクラブの前身と言われる女性専用クラブが登場しました。
女性専用クラブは、社交ダンスが楽しめるキャバレーで働いていた男性ダンサーが、少しでも収入を増やす目的で女性客を集めたのがきっかけで始まった業態です。
ターゲットになっていたのは、暮らしにゆとりのある有閑マダムといった富裕層の女性でした。
【1965年】ホストクラブの原型となる「ナイト東京」がオープン
1965年には、ホストクラブの原型となる「ナイト東京」が東京駅八重洲口前にオープンしました。
ナイト東京は元々「京の花」というグランドキャバレーで、女性客をターゲットにしたダンスホールに改装されました。
社交ダンスを嗜む以外にも、女性客が男性ダンサーへチップを払えば一緒にお酒や会話を楽しめたそうです。
ダンサーは女性客からのチップで生計を立てており、よほどの売れっ子でなければ十分な収入を得られませんでした。
そこで少しでも収入を上げるために、ダンサーたちは女性専用クラブを作り女性客を引き入れたのです。
この女性専用クラブが、ホストクラブの原型となりました。
【1971年】愛田武が開業した「クラブ愛」をきっかけに歌舞伎町にホストクラブが増加
1971年には、「ナイト東京」でホストとして働いていた愛田武が独立し「クラブ愛」を立ち上げます。
愛田武は、大手ホストグループの先駆けとなった「愛田観光」を創設し、のちにホスト業界のレジェンドとなる人物です。
当時ホストクラブは日本全国に5軒ほどしかありませんでした。
どのお店も基本給がなく、ホストの収入源はチップ・指名料・ヘルプからのバックのみです。
「クラブ愛」ではそんな悪習を打破する経営のもと、基本給の制度を確立。現在のホストの原型を作り上げました。
その後、歌舞伎町にはホストクラブが増加していき、現在の日本を代表するホストタウンへと成長したのです。
▼愛田武ついて詳しくはこちら
【1991年】バブル崩壊により女性客のホストクラブ離れが発生する
順調に成長し続けていたホスト業界ですが、1991年に危機が訪れました。
バブル崩壊が起き、経済的に困窮する人々が増加したのです。
大企業は倒産し、個人事業主、そしてサラリーマンも事業に行き詰まったり職を失ったりしました。
バブル崩壊の影響は当然ホストクラブにも打撃を与えます。
夜遊びができなくなった女性客のホストクラブ離れが進み、多くのお店が次々と経営破綻を余儀なくされたのです。
ただ、そんな中でも愛田武が経営していたホストクラブのグループ会社「愛田観光」は親族経営を行っていたのも手伝って生き残りました。
加えて経営破綻したホストクラブからホストを引き入れることにより、事業拡大にも成功しています。
【1997年】レジェンドホスト・零士のテレビ出演をきっかけにホストブームが起きる
1997年には、レジェンドホスト・零士が登場したことで一躍ホストブームが起きます。
零士は80年代から「クラブ愛」の2号店「ニュー愛」でナンバーワンホストとして、人気を博していたホストです。
また零士以外にも多数のカリスマホストがテレビに多数出演するようになります。
それまでマイナスなイメージも大きかったホストに親近感や芸能人のようなカリスマ性が生まれ、世間的な好感度が上昇したのです。
▼零士について詳しくはこちら
【2003年】ホストクラブの独立ブームが起きる
2003年には、ホストの独立ブームが巻き起こりました。
一世を風靡していたカリスマホストたちが、続々と自身のお店をオープンし始めたのです。
ホスト業界では独立がタブーとされていましたが、当時のホストはそういった悪習に不満を抱いていました。
そこで零士をはじめとした売れっ子ホストは次々と動き始め、見事独立を成功させます。その結果、現在ではホストの独立はごく一般的なものとなりました。
さらにカリスマホストたちは独立だけではなく、ホスト業界の健全化を目的としたボランティア団体「夜鳥の会」を立ち上げます。
業界全体を変えようと、売れっ子たちが率先して動いていたのです。
【2005年】歌舞伎町浄化作戦により多くのホストクラブが打撃を受ける
2005年には、東京都知事の石原慎太郎が行った「歌舞伎町浄化作戦」により200店ほどのホストクラブが摘発・閉店しました。
当時、ホストクラブでは違法な深夜営業やキャッチが横行していたため、治安を守るための措置として同施策が講じられたのです。
また、当時ホストクラブと深い関わりのあった暴力団も排除され、ホスト業界の在り方は大きく変化。
暴力団と関わりのあるホストクラブはほとんどなくなり、業界の健全化が進みました。
【2018年】ホストとしての新しい働き方・ネオホストという概念が流行する
2018年には、新しいホストの形として「ネオホスト」という概念が流行し始めました。
ネオホストは、これまでのホストの常識を覆し自由に接客するプレイヤーを指します。
私服での勤務やソフトドリンクでの接客なども可能とするお店が増え、次第にネオホストが主流に。
ホストの裁量で働けるため、プレイヤーの数も急増。メディア出演する人気ホストも多数現われました。
そんな「親しみやすい」ホストたちに興味を持った女性が、ホストクラブへ足を踏み入れるケースも珍しくなくなりました。
【2020年】新型コロナウイルス感染症により多くのホストクラブが一時休業に追いやられる
2020年には、世界的に流行した新型コロナウイルス感染症の影響により多くのホストクラブに危機が訪れました。4月に発令された緊急事態宣言により、休業せざるを得なくなったのです。
休業中に経営危機となり、そのまま閉店するホストクラブが日本全国で続出しました。
また政府の休業要請を無視して営業を続けたお店で感染拡大が起き、ホストクラブ自体の世間的イメージも低迷。
売り上げの低下だけではなく、ホスト業界全体がバッシングを受ける事態となったのです。
当然ながらホスト自身も収入が激減し、副業を始めたり業界を離れたりする人が増えました。
【2021年】空前のホストバブル……歴代最高となる年5.2億円誕生や1グループから1億プレイヤーが31人輩出など
パンデミックの最中にも関わらず、2021年にはホスト業界は大きな潤いを見せ、時代は空前のホストバブルに突入しました。
新宿歌舞伎町では歴代最高の年間5億2000万円を売り上げたホストが登場したり、とあるグループで1億プレイヤーが31人輩出されたりなど、話題が尽きませんでした。
ホストバブルが起きた主な要因としては、SNSの発達と「推し文化」の相乗効果が挙げられます。
SNSや動画配信での宣伝効果などによって、ホストのアイドル化が進みました。
これまでホストクラブに通っていたのは、ホストとの疑似恋愛を求める大人の女性が中心。
しかしアイドルホストの登場により、10代から20代の若い女性が「推し」に会いに行く感覚でホストクラブへ訪れるケースも珍しくなくなりました。
つまり、ホストクラブはよりカジュアルに利用されるようになったのです。
この流れを受けて、歌舞伎町では新規オープンする店舗が続出。ホストクラブ自体の数も増えたため、ホスト同士の競争は熾烈を極めました。
また大阪ミナミや札幌すすきのにも展開を始めるグループも見られ、歌舞伎町のホスト文化は全国に広がりを見せました。
2024年現在もホストバブルは続いており、業界の勢いは留まるところを知りません。
【2024年】歌舞伎町にて売掛制度の廃止が進む
2024年4月、歌舞伎町を中心に「売掛制度」の廃止が進みました。
売掛金の支払いのために女性客に売春をさせる悪質なホストが存在していることが問題視され始めたためです。
以降、警視庁による悪質なホストクラブへの摘発も強化されていきました。
まとめ:現在は1億越えプレイヤーが多数誕生するホストバブル!
ホストクラブの原型は、社交ダンスを楽しむための女性専用クラブでした。
富裕層の女性が男性との会話を楽しむ場としてホストクラブは生まれ、現在の業態へと進化していったのです。
その後バブル崩壊や歌舞伎町浄化作戦、新型コロナウイルスという数々の苦難を乗り越え、現在ホスト業界は「ホストバブル」に突入しています。
1億越えプレイヤーが多数誕生し、ホストは憧れの職業のひとつとなったのです。
ホストクラブの歴史は、これからも時代に合わせて変化を見せ続けることでしょう。